はしたない事親の写し鏡

寒いせいで、タイピング速度がかなり低下してしまっています。お陰で、日記を書くのに時間が掛かる!そんな秋時雨。薔薇マリーです。


電車のホーム、はたまた道行く繁華街最中、地べたに座る若者を良く見かけるじゃないですか。あれ、すんごくみっともないですよね。それでまぁ、電車乗ってる最中にちょっと本気だして考えてみました。


そもそもなぜ彼等は地べたに座るのか?彼らに聞けばこう言う事でしょう「疲れたから」と。そんな事言うけれど、人間誰しも疲れるもの。けれど、なぜ一般の方はそれをしないのかと言えば、それは地面が不清潔(道路など、舌で舐めれる人はいないでしょう)であり、その座っている様が動物(犬とか猿とか)が地面に座している様に似ている事から、みっともないと思うからでしょう。

地面に座る若者達が、これらの事を意識しているかと言うと、ほとんどの場合がそんな事気にもしない方々ばかりのようで、周囲の目なんてどこ吹く風。それはなぜか?

おおよそ推測した理由は二つ。第一に周囲の印象よりも、自分の「疲れた」といった感情を優先している。昔の日本には、現代では特に田舎の年寄りなどがまさにそうなのですが、周囲の評価(○○さん家の誰々がごにょごにょ)のようないわゆる「家の体裁」をすごく気にしており、一人の恥は家の恥でした。ところが、個人主義が唄われるようになった現代では、一人の恥は一人の恥なのです。(さすがにマスコミに名前が載るような犯罪者が出ると、その所ではなく…)

ゆえに、「恥」への意識低下が起こり「みっともない」<「自分が楽」を簡単に選択するようになったのでしょう。核家族化や、個人主義(過ぎた言い方をすると「わがまま上等」控えた言い方すると「自己を尊重」)も広まってきたため、このような「自分さへ良ければ」的な考えが当たり前になってきた現代文化や風習が確かに背景にあってこそですが。


しかし地べたへ着席に限らず、離婚率を代表とする古くは「家の恥だから」と「一人が我慢すれば」的な解決を図っていた事が、オープンになってきたとも取れる訳で、全面的に悪い訳ではありません。けれど、古い風習や文化に魅かれる薔薇マリーには、現代社会はちょっと肌に合わないようです。